熱中の副作用としての「越境」

タイムラインで同じ話題を頻繁に見るようになった。気になって見に行ったら、「内容がどうこう」より、熱中の副作用みたいなものがよく見えた。今回の件は、さくらみこ氏の競馬配信まわりの騒動をきっかけに、外野が大きく騒いだ流れだけど、そこで感じたのは「リスナーの境界線が曖昧になると、現場と外野の温度差が一気に開く」ということだった。

まず、現場(YouTubeの配信)は基本的に“その場で回っている”。視聴者が楽しむ場所で、多少のミスや行き違いがあっても、フォローして流して次へ進む。空気が維持されている限り、そこには「戻る場所」がある。いわゆる「やらかしたら終わり」ではなく、修正して続ける設計になっている。だから現場は、驚くほど普通の顔で回り続ける。

一方で外野(Xなど)は、切り抜き・スクショ・過去ログを材料にして“裁判”を始める。ここで起きるのが、出来事を「人格」「資質」「反省」の話に飛躍させるムーブだ。小さなミスを拾って「まただ」「反省してない」と断じ、さらに「海外メンバーを大切にしろ」「権利を守れ」みたいな大義名分を持ち出す。主語は立派なのに、実態は誰かを叩くための棒になっていることが多い。正義の顔をしている分、攻撃の強度が上がり、本人に届く場所(スパチャ等)にまで投げ込まれる。そこまでいくと応援ではなく、ただの越境になる。

この構図がいちばん厄介なのは、「現場で処理できる問題」を外側が延命して燃料にしてしまう点だ。現場が沈静化しても、外野は盛り上がる。現場が普通に戻るほど、外野は「なかったことにするな」と怒る。つまり、当事者の問題として完結しそうな話が、外野の“祭り”として別のゲームに変換される。ここに温度差が生まれる。現場は日常運転に戻りたいのに、外野は処罰のドラマを求める。両者は見ているものが違う。

だから、配信者側に求められる運用は綱渡りになる。火が付いたときに一番危ないのは、正論で言い返したくなる気持ちや、誤解を一気に解きたくなる衝動だ。炎上でフラストレーションが溜まった状態ほど判断が荒くなる。ここで外に出してはいけない話(内部の事情、関係先の具体、裏側の経緯)に触れたり、毒舌が過剰になったりすると、一気に取り返しがつかなくなる。外野は“返し”を餌にするから、反応すればするほど燃える。結局、表に出すのは最低限の事実と謝意に留め、現場の空気を守る。距離感の曖昧な視聴者や粘着的な外野は、モデレーターや運用で淡々と排除する。感情の処理と公の発信は分ける。ここが守れたら、多少の騒ぎは時間で流れていく。

で、見ていて一番勉強になったのは、これは配信者側だけの話じゃないってことだ。熱中には明確なデメリットがある。境界線が溶けると、人は簡単に当事者席に座りに行く。小さな出来事を、自分の正義や不満の発散にすり替える。そして、その行為を「正しいから」で正当化する。タイムラインで頻出していたのは、出来事そのものというより、この“熱中の暴走”だった。だから結論はシンプルで、実際どうでもいい。現場が回っているなら、それが答えに近い。外野の温度に巻き込まれないこと。熱中する時ほど、越境しない部分だけは抑える。今回見えたのは、そこだった。

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